2019.4.16
住宅と作家性
『 住宅に作家性は必要か?』
最近とある機会でこの疑問に触れ
それから自分の中でも少し考えなければ整理がつかなかった。
さて皆さんはどう考えるだろうか。
いまのところ私の考えはこうだ。
『 住宅において作家性と尋ねられれば、ついつい建築家や設計者を連想してしまうが
実は住まい手自身がもつ作家性の方が、その意味は大きい。』
『 ゆえに、住まい手の作家性がそれを受け入れたときのみ、
彼ら建築家の作家性が活かされる。』
おそらくこの類の疑問で先にくるのは
『 人生において芸術は必要なのか?』 だろうか。
そして答えはきっと 『 必要 』 だ。
その芸術が自身にとって心地良い存在である、ということがひとつ条件になる。
住宅でも同じことで、そもそも作家性は住まい手自身に存在している。
また日常生活に直面した最小単位の建築だからこそ、その意義はおそらく絶対的といってもよい。
『 住まい手がその住宅に身を委ねて心地良いと思えるのならば必要、
そうでなければ、若しくは心地良さなんて要らないよと思えば不要。』 だろう。
もうひとつ、
例えばある住まい手が
『 私は自分が新築する自宅には作家性は必要無いから、建築家には設計を依頼しない』
と言ったとしよう。だがそれは単に建築家の作家性が排除されただけのことであって、自分が居心地を追求していることに変わりはないのだ。本当に全ての作家性を排除するのであれば、目をつぶって投げた石が当たった空き家に住むくらいのことだろうか。
すると今度は
『 そもそも住宅に建築家の作家性は必要なのか?』
という疑問へ移ってくる。
うーむ、これは難解だ。
先に答えを言ってしまおう。
『 必要か不要か、はっきり断言までは出来ないが
住まい手の作家性に比べれば、建築家の作家性は圧倒的に必要では無い。』
つづく