2021.11.10
Y ≠ aX + b
我が家の一人娘。
ついこのあいだ小学校に入学したと思ったら、
あっという間に1年生の課程も後半に差し掛かる。
にしても時間の流れが速すぎる・・・。
最近の我が家のトピックと言えば、その娘の「習い事」について。
どこのご家庭でもある話。
今回の話題は、あの有名な「公文」。
そもそも、ウチの嫁さんの勧めで
娘が保育園の頃から公文に通い始めて、もう丸2年くらい経つだろうか。
週に2日、放課後に公文教室へ出向いて、教室の先生指導のもと課題のプリントをこなす。
それ以外の日は、毎日宿題プリントが課され、1日あたりおよそ1~1.5時間、机に向かっている。
5~7歳児にしてみたら大変な集中力が要るだろう。
それはそれは大変ですよ。
過去これまでのプリントを床から積み上げてみると、本人の背丈(100cm)以上にもなる・・・
恐ろしぃ~
傍から見ていて
親バカを差し引いても、娘は良く頑張って続けているなぁと思う。
親の自分も、子供の頃に公文を経験してきているのならいいんだが、
自分がやってきていないことを子供にやらせるのは、さすがにためらわれる・・・。
父親の私は、そんな後ろめたさから
娘に「そんなに頑張らんでもいいよ~」と、たびたび声を掛ける。
その私を遠くから睨みつけている嫁・・・(笑
いつも変わらない、こんな我が家の風景。
ちょっとここで話が反れますけど・・・
私が尊敬して止まない養老孟司先生(東京大学名誉教授/解剖学者)。
先生曰く、
養『 人はインプットした後のアウトプット(≒自己表現)がとても大切 』 だそうだ。
先生ご自身は世界中の原生林へ出向かれて「虫採り」がご趣味だとか。
採った虫を興味のままに解体・解剖されて、いつも様々な発見があるそうです。
つまり、今も衰え知らずのバイタリティで
日頃から謎多き自然界からのインプットを習慣にされていて、それがご趣味であるということ。
もうひとつ、
養『 日本の義務教育の場合、特に中学生に入った時期に数学の授業なんかで
突如として「X=Y」「A=B」という、いわゆる定義や概念を教わる 』
『 学問の多くは人によってつくられた「概念」であり、
つまり学問を習得するにはその概念を受け入れられるかどうか、ということ 』
『 特に感性が強い子供の場合だと「XとYは同じではない」
「見た目だけで単純にXとYって違ってんじゃん」「X=Xなら分かるけど・・・」となる 』
・・・話をもとに戻す
ウチの嫁さんをはじめ、全国の熱心な教育ママたちの名誉のために一応のフォローをすると
「子供の学習教育のため」という目的では、ある部分までは理解出来る。
でも私に言わせれば
それは中学生になる準備段階として「机に向かう習慣付け」の範囲までだろう。
小学校低学年で1日20~30分、高学年でも30~40分がせいぜい。
しかも毎日じゃなくていい、週2~3日でよいと思う。
あとは近所の公園や野山を駆け回って、自然から多くをインプットして欲しい。
(※自分が子供の頃はそうでした)
大人たちが作り上げた「概念」のインプットは、嫌が応にも中学生になってから始まる。
小学生はその準備段階。
この季節、落ち葉やどんぐりを拾い集めて
外を駆け回ることが最良で最大の準備方法だと私は思う。
我々親たちも、プリント与えることよりも先に
子供たちの「個性」に、もっと目を向けるべきなんだろう。
あ、それから、家にこもってタブレットで動画を見続けることも
これまたロクなアウトプットに繋がらないので、程々にさせましょう!
おしまい