2019.7.7
母 vs アドラー心理学
突然だが、私の母の最終学歴は中学卒業らしい。
今年で73歳を迎える母は、息子の私が言うのも何だが
昔から頭の回転やバイタリティー、精神力や忍耐力までも
人並み外れたスーパーウーマンで、家族は誰ひとり敵いっこない。
「~中学卒業らしい」と言ったのも
私も含め家族はみんな母親のそんなキャラに見合わない学歴なんて
昔から全く気にしていないからだ。
母自身は
「いままで強烈な劣等感をもって生きてきた」
「昭和40年代当時、特に兄妹が多かった家庭環境では全員に進学するチャンスまでは与えられなかった・・・」
と、いろんな事情も含めてよく話をしてくれた。
そんな母や、亡くなった親父たちは
自分たちの家庭の事情で叶わなかった悔しい想い(=大学進学の夢)を、
今度は自分の子供らに託し、子供たち3人(姉2人+私)はその期待に応え
みな無事に大学を卒業して親の雪辱を晴らした。
端から見れば、きっと親子のステキな話なのだろう・・・。
がしかし、だ。
そこへ、アドラー心理学。
近頃メディアで何度か見掛けて、久しぶりに読み返してみたけれど
やはり興味深い・・・。
簡単にまとめると
『 他人から承認される欲求を捨てる 』
『 課題を分離する(人の課題に応えるのではなく、自分の課題に応えることが大切)』
『 他人は敵ではなく仲間で、その仲間に貢献することが自分の幸せに繋がる 』
(著書/嫌われる勇気、Youtubeなど動画解説なら10分で理解できる)
いま考えると、
優等生の姉たちに比べて、俄然、勉強が嫌いだった私は、自分に向けられた課題
(=大学進学)を前に、無意識にアドラーの「課題分離」を実践していたように思う。
~親の課題~
『 子供達を大学へ進学させる 』
~自分の課題~
『 高卒とか大卒とか関係ない。
学校で学ぶことは社会に出てすぐに役立つ最低限のことでいい 』
『 技術だけなら高専卒で全然OK。建築に対する考えをより深めるのなら大学まで行く 』
そう、私自身はいわゆる「親の仇」だけで大学へ進学することは
どこか間違っているような気がしてならなかった・・・。
結局、自分の課題をメインに考えて
おまけで親の課題をくっつけて、大学進学(高専卒→大学3年次編入)を選択した。
あれから20年が経ち、独立して設計事務所を構えるようになって
仕事を確保しようと思えば、
周りから承認されたいという欲求がいくらでも湧いて出てくる。
(このブログでさえアクセス数を増やしたいという承認欲求が潜んでいる)
でも、そんな欲求に押し潰されてはいけない・・・
これからも自分の信念・理念を強く意識して「自分の課題」に応えていきたい。
そして当然、その課題の筆頭には
自分を育ててくれた、苦労して大学まで行かせてくれた
両親に対する感謝(親孝行)で間違いない。