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2019.5.9

思うこと

続・住宅と作家性

当時、まだ15歳(中学3年)で高校受験を前に
自分の将来の夢を考慮して進路を決めるよう、親からその判断を迫られた。

その時に

『将来、自分の家を自分で設計できたなら、その家で生涯を過ごせたなら、どんなに素晴らしいことだろう』

という単純な想いから、建築設計の世界へ進むことを決意し、そのことを中学の卒業文集にも寄せている。
(今は一部BS放送のみだが、当時は毎週土曜の朝7:30~8:00にTV朝日の番組で『渡辺篤史の建もの探訪』を必ず観てから登校するのが習慣だった)

 

 

・・・あれから27年がたち、現在はまだ賃貸マンション暮らしながらも、その夢は変わっていない。

何を言いたいかといえば
はじめから自分の中では、ただ漠然と『住宅を設計したい』ということではなく、
『他人の住宅』ではなく『自分の住宅』ということがはっきりしていた。

だからいま様々な仕事を請ける中で、特に住宅設計の依頼が入ったときには
『我々に託して頂いて有り難い』と恐縮すると同時に、心の奥底では
『本当は、依頼主は100%ご自分の思い通りの住まいにされたいはず、果たして自分が介入してよいものか・・・』
と、どこか遠慮のような葛藤がある。

気が小さい性格もあるが、もし自分が建て主ならば、シンプルにそう思うのだから仕方がない。

 

 

話を以前のブログ(住宅と作家性)へ戻して、少し深いところへ進める。

前回、住まい手の作家性の方が建築家の作家性よりも、その意義や重みは格段に違う(間違っても等価ではない)と申し上げた。

いま注文住宅に限って言えば、住まい手が望むことと設計者が提示した内容には、結果的に互いの満足度に差が生まれることがよくある。どちらかが100%であっても、他方は80~90%、という具合に。

当然、最後は住まい手が100%以上の満足度で完成しなければならない。
その時に建築家は何%になっているのか? 20%? 70%? 110%?
これは住まい手側にはまったく関係も責任もなく、ただ建築家側だけの問題だ。

 

そこで、建築家の作家性について。

 

一般的な感覚(一部の先入観)として、もし建築家に設計を頼んだら
『建築家の先生が設計された家には、有無も言われず住まわされる・・・』と
どこか敷居が高くなってしまっている感じは否定できない。
もしそうだとすれば、
そもそも住まい手の満足度なんて100%に遠く及ばないし、それはあってはならないこと。

 

実際のところは、どうなんだろうか・・・

 

以前に、ある著名な住宅作家の方がおっしゃられていた言葉で、

『住宅設計の依頼があった際、依頼主へ初見で
  再三にわたって国内ハウスメーカーのレベルの高さを説明し、そちらを強くお勧めする』
『できれば不幸な仕事はしたくはない、幸せな仕事に関わりたい』

・・・少し極端かもしれないが
この言葉の意味や意図について、自分でも最近ようやく理解できるようになった。

 

つまり、建築家も同じ人間なわけで、前述した葛藤がある。
自分が設計した住宅に自分で住むならばいいが、自分以外の人間が生涯そこで暮らすわけだ。
それは、設計する側としても、ある意味とても大きな十字架を背負うことになる。
(あらゆる建築設計でも言えることだが、住宅特有の意義についても前述の通り)

例えば、設計側が自信満々の110%の提案をしたつもりでも、住まい手が60%程度に留まっていたとしたら
その十字架は果てしなく重い!

いくら建築家であっても、そんな重たい十字架を自らすすんで背負いたくもないし、
できることならば、感謝されて住み続けてもらいたいと思うのが本音であろう。

両者が100%以上のスコアを同時に出すためには、よっぽど、その建築家に心酔したクライアントであるか、
建築家の提案が毎回ハートに突き刺さるほどの
感性や価値観がベストマッチングでなければ、到底実現されない。

 

ここまで掘り下げてくると
近頃よく街で見かける 『 建築家と家を建てませんか? 』 なんてコピーは、どこか薄っぺらく聞こえて
私には軽々しくて、とても言えたもんじゃない・・・。

だから建築家の作家性って、そんなふうに押し売り&叩き売りするんじゃなくって
隅っこで静かに佇んで 『 よろしければどうぞお試しください 』 という程度でいいんじゃないかな・・・。

 

そして建築家たちには、もう少し違った、本来戦うべきフィールドが他にあるのだ。

 

つづく

 

 

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